![]() ![]() 私は鎌倉で生まれ、そののち 幼稚園と小学生一年生を宮城県仙台市で過ごし。 小学二年生から小学校卒業までを岡山で過ごしました。 その中で、小学四年生~六年生の間の三年間。 渡辺和子さんが学長をしておられた 岡山ノートルダム清心女子大学の、附属小学校に 通っていたのです。 (我が家はみな無宗教ですが、通っている子の中には 洗礼を受けている子もいました) ![]() 附属小学校のほうには、校長先生が別におられて。 (校長先生もシスターでした) 大学を含む全体の学長は渡辺和子さんがしておられました。 学長様という呼び名ですが、 私たちは当時そう呼んでいたのでブログでも そうさせてくださいね。 シスターはどの方もみんな優しかったのですが、 その中でも学長様のやさしさや上品さは きわだっていました。 附属小学校では、それほど頻繁にはお会いできませんが、 それでもお会いできたときは こども心にとっても嬉しかったです。 ![]() 本や、ネットの情報などで見ていただくと分かるように、 彼女の人生は壮絶なもの。 その話は、こどもだった当時から 普通にこどもたちの耳に入っていました。 ![]() お父様の機転があって、 生き延びることができたのです。 ![]() こどものころでも衝撃的な話だったけど。 今自分が子を持つ親になった身で もう一度思いをはせてみると。 双方の苦しみや悲しみが迫ってきて、 胸がつぶれそうになります。 ![]() そんな生い立ちを知ったうえでお会いする学長様は やっぱりとっても優しくてー こどもたちはみーんな学長様が大好きでー ![]() 子ども心に、 「あんなにつらい思いをしたのに、 どうして こんな風に人にやさしくできるんだろう?」 と、心から不思議に思ったことを 今でも覚えています。 ![]() 長く生きてくれば、 それなりにしんどいことやつらいことが たくさんあって。 そういう経験をしてきて、すこーし 当時の疑問の答えが見えてきたような気がします。 傷ついたから、 優しくなれるのかもしれない。 これはあくまでも私個人の考えであって 渡辺和子さんの考えとは違う可能性もあるし。 彼女の通ってきた壮絶な人生と私の人生なんて、 比べようもないんだけれども。 大人になって、自分なりの答えで、 腑に落ちたような気がするんです。 ![]() その後、最近になって知ったのだが、 うつ病と戦っておられた期間もあるとのこと。 当時も患っておられたかどうかはわからないけれど、 もし苦しんでおられる中の あのやさしい笑顔だったのなら、 本当に切ない気持ちになる。 ![]() それでもきっと。 たくさんのひとたち、たくさんのこどもたちに、 優しさの種を残していったはず。 あなたにいただいた種を大事に、 こどもたちと関わっていきますね。 ご冥福をお祈りいたします。 ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() |
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