にわとりおかんの極上日和        
ダンシとは宇宙人なり!サイエンスマニアの親子日記☆
感覚の違い


大人になっても、
感覚の違いは人それぞれ。
あって当たり前のことですがー

実はその感覚の違いというのは、
とても大きなものなのです。
特に、子どもたちの世界にとっては、です。

大きな音はだれでも苦手ですが、
発達障害の子たちは、さらに鋭敏に
音をきらう場合があります。
みんなが大丈夫な音でも、だめという感じで。

音以外にも、例えば
アスペルガー症候群の子は特殊な感覚を持っていてー
(今では自閉症スペクトラムと呼ばれています)


身体感覚や皮膚感覚が独特の子がいます。

身体認識も、私達には実感しえない感覚です。

よく聞く話が、こたつに足を入れて入っていると
足が見えないので足を「知覚・認識できない」のです。
つまり、かれらにとっては足がない感覚。

こたつの外に足を出して目で見ることで
「足がある」と知覚できるわけです。

また、感覚鈍麻・感覚過敏もあります。

そっと触れただけなのに、大きな衝撃を受けたり
痛みを受けたりしたように知覚してしまう感覚過敏。

また、
ふつうに歩いただけでは歩いているという感覚を
得られないために、つい力を入れてドシンドシンと
にぎやかに歩いてしまったりする感覚鈍麻。
それは、歩いていることを彼らなりに
確認する作業なので、
周りを困らせるためにやっているのではないのです。

こんな風に、外見的には他の子と変わらない子でも、
内面の感じ方・感覚は、大きく違うことがあります。



このような子にとっては、
通常は当たり前であるスキンシップも
痛みを伴う苦痛になることがあります。

「こどもは抱きしめると喜ぶものだ」
「愛情があるから抱きしめるのは当然だ」

と信じてやまない人にとっては、
なぜ彼らがそれをいやがるのか、
理解できないことがあります。



でも、彼らはわたしたちとは感覚や感じ方が
違うだけで。

別にうそをついているわけでも、
照れてはぐらかしているのでもない。
だから、彼らが悪いわけではない。

だからこそ、発達障害や、発達障害まで行かなくても
感覚が他と違う子には、
理解と支援が大切なんだと思います。

この、感覚の違いを分かりやすく説明するために、
科学実験を引き合いにだしましょう。



静電気の季節にはおなじみの、
「100人おどし」という実験。

みんなでビリッ!と静電気体験をする実験です。

たくさんの人で手をつなぎ、一つの輪をつくり、
いざ静電気が輪の中を駆け巡ると―



みんな驚いて、歓声をあげ、
手を放します!

「うわーきたきた!」なんていう子もいれば、
「えー、なんかよくわかんなかった」という子もいます。

静電気を感じにくい子もいるわけで、
その子は痛みを感じていないわけです。

そんな中・・・



卒倒するほどの痛みを味わう

親子もいるわけです(笑)


私もそーさんも、ものすごい静電気体質なので。

冬場はありとあらゆるところでばちっと放電します。
もちろんそのつど、いやーな痛みに耐えるわけですが。

100人おどしももれなく激痛。



誰がなんといおうと、私たちは痛い!
痛いもんは痛い!
私はほんとーにこの痛みが大嫌いなので。
100人おどしも、静電気の実験も
自分では絶対にやりません(笑)

ま、それはさておき。
確かに大したことない静電気ですが。
流れる事実は一つとして。

その痛みの感じ方・感覚は、
参加者それぞれなのです。

こどもたちの感覚はこれと同じ。

例えば一つの音。

物理的にはただ一つの事実・現象ですが。

その音がどんな感覚で

こどもたちの中に入っていくか、

それは本当に人それぞれなんです。




もちろん、軽い話とかなら全く問題ないですよ。
今言っているのはそうじゃなくて、
もっときつーく意見を押し付けてくる人。

実はよくいますね、こういう人。
(まあたいていこういう人は嫌われていますが・・・)

こういう発言を聞くと、
「ああこの人は、少数派の人のことを
考えたこともないんだろうな」
と思います。

あるいは、言ってるご本人のほうが
少数派だったりすることもあるんですけどね。
自分は正しいと思っているから、
それに気づいていないわけです。



みんな、自分と同じなら正しい?

そうでない人は間違い?

それはただの傲慢だ。

いろんな感覚を持った人間がたくさんいて、
アナタはその中の一人でしかないのかもよ、
と言いたくなる。



サイピアには、平日はたくさんのこどもたちが
遠足や校外学習でやってくる。
その中には、発達障害を抱えていたり、
そうじゃなくても繊細で感覚が鋭敏な子もいたり、
不登校支援の子たちだって、みんなみんな
やってくる。

でも、どの子もよく見ればみんないい子で、
おうさまの科学ショーを目を輝かせて楽しんでいる。

みんないい子。

いい子ってのは、行儀のいい子という意味じゃない。
こどもらしくて、好奇心でいっぱい。
席につけなかったり、先生と離れられなかったり。
いろんな子がいるけれど、

これから未来へ向かって、
成長していこうとしてるこどもたち。

みんないい子だ。



ところが、この「こどもたちの感覚の違い」で
ちょっと切ない気持ちになったことがありました。

それを明日かきますね。

よければまた明日、お付き合いください!


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【2017/11/28 00:00】 | こどもたちへ | トラックバック(0) | コメント(4) |
<<こどもたちの感覚の違い、そして苦しみ。 | ホーム | 私の中の音感覚。>>
コメント
おかんさん

人と同じであることに苦痛を感じる人も居ます>私
そのせいか、人と違う人への共感が多分普通よりも高いと思います。

但し礼儀作法を厳しく躾けられて育ったので、露骨に自分の違いを表に出すことはできなくて、心の中で「一緒にすんな...」と毒づく程度ではあります。

厳しく育てられたので行儀の悪い人への許容度はかなり狭いかな...同様に厳しく育てられた家内と夫婦で共感できて助かっています。

そして違いを表現する機会が与えられると俄然頑張ります。ある意味厄介な性格ですね。例の大学で磨きがかけられたのは間違いなくて、おかげで就職した時は特に言動に注意したものです。

音については、ポンと音程が合わずに下からそして上からあててくる歌は、不快に感じますが、聴けないほどではありません。「あ~あ」と思って、二度と聞かない努力をするくらいです。

なお、これを意図的に効果的に必要なところで行うのはテクニックで、全部そうなのは下手だと、オペラ歌手の家内はいつも言っています。

オペラ歌手にはさすがに探るような歌い方をする人は見たことが無いですが、全てシャープ気味/フラット気味の人は居て、この手合い全くダメです。聴いていて気分が悪くなります。ただの音痴のほうがまだ許せるくらい苦手です。

おかんさんと同じく音には敏感で、西洋音楽教育を受けたため、五線譜で表現できない「間の音」に敏感です。これはひたすら嫌いというのではありません。

とても興味があって中東の歌や音楽には「間の音」があって、曲や歌によってはとても惹きつけられます。コーランの歌は、何を言っているのかサッパリですが、なんだか心に染み渡って、不思議な気分になります。

感覚とは面白いものだと思います。例えば同じ波長の光を見た人々は、生まれただけの状態だと感じ方が違うのではないかと疑っています。但し、「これが赤」などと教育をうける過程で、社会的に共有可能な範囲で規格化されるのだろう...なんて素人が勝手に思っています。

【2017/11/28 13:46】 URL | やす (Krtyski) #XSag7DMU[ 編集]
やすさん

私もですよ!
>人と同じであることに苦痛を感じる人も居ます>私
>そのせいか、人と違う人への共感が多分普通よりも高いと思います。
について、大共感!(^o^)

人と同じことをするということに価値を見出したり、安心感を見出したりすることはありませんでした。それよりも、人とちがっても自分の信念を通す、というやり方で生きてきました~。

私の場合は普段から自分のやりたいようにやってきたので、よく「なんで?」「絶対それ、変人だよ!」と後ろ指さされましたよー。気にしないけど。
でも、目立ちすぎて叩かれないように、
なるべく自然に目立たぬようにやるくらいの浅い知恵が私の中あったので助かりました(笑)

そんな感じで生きてきたら、例の大学ですからね!
「あー自分を偽らないってすっごい楽。
私よりももっとずっと突き抜けた阿呆(←褒め言葉)が、ここには山ほどいるじゃないか!」
と嬉しくなりましたよ☆

音は、人によって内容は違えど、みなご自分の感覚をお持ちなんですよねー。耳に入って来るのは同じ音なのに、とても不思議です。
それを不快に思うか、快く思うかも脳に支配されていると思うと、科学的にも大変興味深いです。

そうそう!ただのオンチのほうが許せる!っていうのは分かります。
日曜の昼下がりのNHKのど自慢を見てて、
へたっぴな人が出てくると「うわーへただなあ(笑)」とは思うけど聞けないほどの感覚は味わいませんねえー。
あまりにも外れているから、安心して聞けるのかしら。

中東の歌や音楽の「間の音」はなんとなくわかります。割り切れない、その深遠さですよね。
私は、モンゴルのホーミーに同じような不思議さを感じます。2つの音が重なっているはずで、でも1つの音にも聞こえるし、でも単音ではない・・・
う~不思議!という感じですねえー。

感覚というのは、誰しも自分の中に確かにあるもので、疑いようのないものなんだけど、
それを外に出して数値にしてはかったりはできないですもんね。

人間同士がコミュニケーションをとるときには、それら個々の感覚の最大公約数というか、広がりや幅のあるものが、利便性のために規格化されているというやすさんの意見、ごもっともだと思います。
だからこそ逆に言えば、一つの物事には光のスペクトルのように、連続的な内容の違いと幅、多様性があるってことですよね。
そのことを理解すれば、社会的少数派、社会的弱者の世界にも、もっと光があたるんだろうなと思うのです。(^-^)
【2017/11/28 21:20】 URL | にわとりおかん #QVmBk27Y[ 編集]
おかんさん

そういえば中学2年の時、担任の先生がかなりの変わり者で、熱血教師。今の時代では許されないくらい独自の価値観で独自の教育を課外時間で我々に与えてくれました。

夏休みに先生一人で希望者を引き連れて旅行にいったり、養護学校でお手伝いするといった感じ...

どれもこれも、大きな影響を与えてくれ、今の自分の背骨の1部になっている感じです。

養護学校での経験は、とても鮮烈でした。
最初はとても嫌な感じがしました。あまりにも自分と違いすぎるから...

雑な言い方をすると最初は「アホ」な子達という先入観を確認する感じでした。

...が、中にはフォトグラフィック記憶が出来る子(どの本の何ページに何が書いてあり、どこに染みや折り目がついているなど完璧に記憶している子)とか、なんだか凄い能力を持った子がいるのに気がつき、そうかアホやなくて、普通と違うんや...と大発見したら、その後は子供達と接するのがなんだか面白くなりました。上から見下すのではなくて、同じ視線で彼らを見る、感じる、理解するという貴重な経験を味わいました。

彼らは、自我を持っていて、自分で考え、感じているんですね。ただし世の中の規格に合わないだけ。

なんや、自分といっしょや...という大発見をしたんですよ。

政治家がよく社会的弱者と言いますが、これは不穏当だと思うことが多いです。まぁ、その話の文脈によりますが、多くの場合は見下した姿勢を感じます。そんな姿勢では本当に必要としていることを必要としている人には届けられないわけで、税金の無駄使い、天下り先確保、選挙のためのアリバイ作りでしかないことが多いですね。

実際は国が十把一絡げで、ど~んっと政策を進めてもうまくゆかない。地方自治のレベルで、地域にあった細やかな行政が必要で、普通の人々の規格を広げて、違った人たちを受け入れるといった姿勢が必要なんだと、これはかなり前から思っているんです。

確かに、一般社会では生きにくいので弱者なのは確かですが、「違う人々」という視線が無いと決してうまく行かないんだと...そして共感できないんだと思うんですね。

その土台に立てば、あとは普通に合う合わない、好き嫌いの感覚で付き合えると思います。

【2017/11/29 10:55】 URL | やす (Krtyski) #XSag7DMU[ 編集]
やすさん

おおー!その先生はすごい!オモシロい方だったのですねー!普通の教師ではなかなか周りの目も気にしてできないですよねー!
そこであえて自分の信念を突き通すという素晴らしさ!
授業以外の人生についても学ばさせてくれた先生との出会いは、やすさんにとっても大きかった事と思います(^-^)イイナ!

支援学校、養護学校などのこどもたちと関わる機会が増えたのは、私もサイピアで科学講師として働いてからなんです。
で、私もやすさんと同じで、彼らに対する先入観がとっぱらわれました。決して見下していたわけではないのですが、「できないことが多い」というイメージが払しょくされたわけです。確かに一般的な子と同じようなことができなくても、ほかの才能に秀でていたり、彼らの中にある素晴らしい感性や好奇心というものは、一般の子よりも大きい子さえいるのではないだろうか、と思いました。

普通に学校にいけなくても、
たとえ体の一部が不自由だったり、同じ年齢の子と同じ知能がなくても、彼らの中には一人ひとり違う素晴らしい世界が広がっています。
自分の居場所と、理解してくれる人間がいれば、
彼らの幸せというのは、私たちの幸せとなんら変わらず、
ハンデがあるから不幸せ、ということはかけらもないんだ、ということに今更ながら気づかされました。
先入観や能力至上主義、学歴社会でガチガチになっているこどもたちよりも、幸せな子が多いことだってあるわけよね?! ・・・なんて妙に腑に落ちたりして(笑)

私も、政治家の「社会的弱者」はうわべの言葉だなあー
と思います。政治を動かす人たちは、「弱者」としての苦しさやつらさを味わったことのない人たちが大半です。
私のような少数派(アレルギー、自己免疫疾患を持っていたり、それ以外にも社会的弱者である理由はあるのですが・・・)
もちろん、そうでない人でも共感力があれば政治の力をその人たちにフィードバックすることもできますし、実際そういう政治家もいるのでしょうが、まだまだ数は少ないと思います。なかなか、末端まで支援が届くのは時間がかかりますね。そういう意味でも、地域の、支援の手を必要とする人たちの近くからフォローしていくしかないし、そうするのが一番早いんだと思います。
(でも、国からの支援はもちろん、なるべく早くしてあげてほしい!)

いろんな問題、いろんな人たちが交錯しあう今の世の中では、「違う人々」をいかにとらえるかが、これから未来を切り開けるかどうかのカギになるのだと思います。
【2017/11/29 12:40】 URL | にわとりおかん #QVmBk27Y[ 編集]
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Author:にわとりおかん
19歳の息子をもつ、「おかん」です。
子育ての傍ら、科学の種まきの草の根運動やらアート活動やらをしとります。
科学講師として出没したりします。

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